日本土地建物の視点

CATEGORY#2日本土地建物が
生み出す価値
Theme1

未知の領域における課題を
一つずつ丁寧に解決に導いていく。

事業推進

加藤 大志

2005年入社
都市開発事業部

日土地では誰も経験したことがない案件。
そのすべてを調整し、プロジェクトを推進する責務。

「もう7年になるのか」--。
 加藤はPCに映し出されたプロジェクト進行表をチェックしながら、自分が着任した当時を思い出していた。
 スケジュール表の横軸には「まちづくり検討会」が発足した2001年からの日程が記されている。それによれば、「京橋エドグラン」の特定業務代行者(事業主である再開発組合に代わり業務を代行する事業者)の代表企業として日土地が選定されたのが2010年11月。加藤はその直後に京橋エドグランのプロジェクト担当を命じられた。それまでは別の再開発プロジェクトに、再開発組合の事務局としての立場で関わっていた。
 事業推進担当とは、ひと言で言えば『全体の調整役』。プロジェクト全体を円滑に進めるためのマネジメントが主な業務である。デベロッパーというと、施設計画など街づくりのイメージが強いが、実際には多数の関係者や専門家の調整を行い、プロジェクト全体を導いていく業務がメインとなる。役回りとしては、縁の下の力持ちと表現した方が適切と言える。
 プロジェクト進行表の縦軸には、加藤が京橋で手がける主な業務が記述されている。権利者調整、特定業務代行者調整、行政対応、工事進捗管理、資金調達、賃貸運営、管理運営計画…。これらをすべて計画通りに遂行することが事業推進担当者のミッションだ。厳しすぎるスケジュールは様々なリスクを生じさせる一方、期間に余裕を見過ぎれば無駄が発生し関係者の利益を損ねてしまう。プロジェクト全体を俯瞰した適切なバランスが重要になる。
 だが、「京橋エドグラン」は日土地にとって過去最大のプロジェクト。言い換えれば「日土地では誰も経験したことがない規模のプロジェクト」だった。一応の事業スケジュールは設定されたものの、本当にこのスケジュールどおりに物事が進んでいくのかは、誰にも確証がなかった。着任当時の加藤に想像できたのは、数々の難題が待ち受けているであろうことだけだった。
 7年前の想像どおり、加藤の目の前には大小様々な課題が山積していた。事業推進担当の加藤が中心となってこれらの課題を解決しない限り、プロジェクトは行き詰まる。加藤はPCを閉じると、プロジェクトメンバーらが待つ京橋へと向かった。
 「今日も長い会議になりそうだ」

ひとつひとつの議論を積み重ね、課題を解決していく。
プロジェクトを成功させたいという想いは全員共通。

課題が山積みだとしても、決して焦らず、ひとつずつ丁寧に紐解いていくのが加藤のいつものやり方だ。
再開発組合の事務局では、日土地の社員が個人を中心とする40名超の権利者の立場に立って事務局運営を行っている。対して加藤は、日土地にとってのメリットも追求していく必要がある立場だ。双方とも日土地の社員であり、互いに全体最適を追い求めてはいるものの、実際には再開発組合事務局と事業推進担当とで意見が折り合わない局面も生じる。
「自分も再開発組合事務局に出向した経験があるので、もちろん事務局運営を担う同僚の立場も分かっています。プロジェクトを成功させたい想いは全員共通なので、どこかで着地点を探りながらの議論を積み重ねていくことになります。事業推進担当としてはこうした方が一番良いという考えを持ちながらも、もっと良いやり方はないか、他のやり方と比較してほしい、関係者全員にとって本当に一番良い方法なのか、といった要望を受けることは少なくありません。それらを一段一段、階段を上がっていくように丁寧に調整していくのが事業推進を担う私のミッションです」
会議を終えて帰社すると、再開発組合事務局と合意したもの、再協議すべきもの、新たな課題などを整理し、次の一段を上がるための準備を行う。

「東京駅東エリアにおける再開発の象徴にしたい」。
関係者たちの街への強い想いと矜持。

「京橋エドグラン」において最も慎重な調整が求められた課題の一つが、日土地による一体運用の導入だった。
一体運用とは、日土地がテナントとの賃貸借契約を一手に引き受け、利益を権利者に分配する方法で、リーシング窓口の一本化や空室リスクの平準化など、関係者にとって多くのメリットがある。一人ひとりの権利者の生活を維持・向上させるためには、一体運用がベストだと加藤は確信していた。
加藤は、権利者が理解できるよう一体運用のメリットをわかりやすく資料にまとめ、権利者に対し繰り返し説明した。聞き馴れない言葉や仕組みに当初は疑問を呈す権利者も多かったが、加藤の丁寧な説明によって次第に理解を示す声が増えていった。一体運用の最初の提案から一年半、加藤の努力が実を結び、日土地は40名超の権利者との一体運用契約を無事締結することができた。
「一体運用は、自分の資産を当社に預けることになります。不安の声もありましたが、最終的には日土地を信頼頂き、契約締結に至りました。デベロッパーが一方的に説明するのではなく、分からないことを汲み上げ、納得がいくまで説明をすることが重要です。『関係者全員が幸せになる再開発を』という想いを大切にしながら調整を重ねました」
権利者たちから「京橋エドグランを、東京駅東エリアにおける再開発の象徴にしたい」という声を何度も聞いた加藤。そうした強い想いと矜持を常に受け止めながらも、冷静に、着実に、階段を一段ずつ上がっていった。

未知の領域を乗り越えながら、
「関係者全員が納得するものができた」。

2016年11月。「京橋エドグラン」が当初描いたスケジュール通りに開業した。着任してからの7年間で、延べ何百人という関係者とさまざまな調整を進めてきた加藤の仕事は、一旦の節目を迎えたことになる。
低層階のオープンスペースに配置されたパブリック・ソファで寛ぐ人々の姿や、レストランの席待ちの列、3階のエントランスの賑わいを見ながら、加藤はひとつの達成感を得ていた。
「やはり実際に街に人が訪れる様子を見ると『街に息吹が吹き込まれた』ようで感慨深いです」
だが、街にとってはむしろ「これから」が大切だ。施設が50年、100年と魅力的であり続けられるよういかにアイデアを尽くすか。
「当たり前のことですが、施設を使う人の気持ちを大切にすることが重要です。オフィスや店舗で働くテナントの従業員の方々。イベントに参加する方々。施設を維持管理する関係者。そして中央区や町会などの地域の皆様。たくさんの声に耳を傾け、施策に反映させながら『京橋エドグラン』という大樹を育てていきたいですね」
「この街を、より安全で魅力的な街に生まれ変わらせ次世代に繋いでいきたい」という権利者たちの熱い想いからスタートした京橋エドグラン。2001年の検討会立ち上げから実に15年もの間に、膨大な数の「調整」が必要だった。その多くに中心的に関わってきた加藤にとって、未知の領域を乗り越えひとつの街を仕上げたことは、大きな自信となった。
これまで培ってきた街の歴史を継承し、「関係者全員が納得する街」となった「京橋エドグラン」は、これからも新たな未来を紡いでいくことだろう。

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